toshitaka919のブログ

1000年の時空の旅。

価値のはかりようがないものほど貴い。(美しい。)

日記2022.12.06 19:54

だいぶ前、サンテグジュペリの 本当に大切なものは目には見えない と言う事葉を知った時まだまだその意味がよくわからない感じでした。最近になって、価値のはかりようがないものほど貴い、美しい。という事葉を知り、考えてみると、誰かが相手の事を思って愛情とか友情、真心とか優しさをかけてくれた時、そこにはお金では買えない計算できない美しさが輝いていて、その愛情、友情、真心、優しさを頂いた相手は必ず、大なり小なり恩返しをしたいとか思うでしょう。 又誰もが一度は夢や希望をもって懸命になった事があるとおもいます。例え他の人から見てくだらないちっぽけな夢や希望も、お金には計算できない貴さ、美しさがあると思います。もしくはごく幼い頃にもっていた、純粋な心はそれはとてもとても美しく、価値のはかりようがないと思います。

なんとなく暮らしている毎日でも、例えば挨拶をしてもらえたとか、笑顔で答えてくれたとか、ささいな事のなかに幸せを感じる事が多いです。元気に輝く太陽から元気をもらったとか、道ばたに咲くタンポポをみて心が和むとか、夜空の星々や月をみて永遠を感じるとか、そういった価値のはかれないもののお陰様で私は元気に暮らせているきがします。

目で見て感じるというより、心で感じるというものではないでしょうか。もっと大げさに言うと魂に響くような感じでしょうか。

 

例えばなにかお金を出して購入したり、体験したり、食べたりしますが、明らかになんか得しているなと感じるたり、嬉しくなったりした時は、相手先の優しさや真心のようなものを感じます、それに対して感謝してありがとうございますと言う気持ちは、目には見えない事が多いですが、たぶんどこかで相手に通じているような気がします。そういう経済活動の中にもある愛とか優しさもとても大切で美しく、多くの人々の心を癒やし、大ききな力を生み出すと思います。

この世はみえるものや、みえることよりも、みえないものの上で成り立っている という言葉を最近耳にしましたが、本当にその通りだとおもいます。目には見えないものを大切に丁寧にあつかえれば、幸せ、とかが見付かるような気がします。

もう自分は駄目だとか思う時も皆あると思います、その時ほんの少しの勇気がでれば、そこから道が開けるかもしれません。その勇気もお金では価値が計れないのではないでしょうか。

先程の war is over とのタイトルの続きになりますが、誰かがほんの少し、いやかなり大きい勇気かもしれませんが、武器や兵器を相手に投げつけるのではなく、ささやかな愛情や真心のこもったことが相手にできたのなら、それが呼び水となり収束に向かうかもしれないなどと期待をしてしまいます。そんな目にはみえなかったり、価値の計れないもので争いが終われば、犠牲になった方も嬉しいのでわないかと思うのは間違いでしょうか?