toshitaka919のブログ

1000年の時空の旅。

smile.

日記2022.12.06 21:06

 

愛は地球を救うという標語があります。本当にそのとおりではないかとおもいます。

愛に近いもので人が人を救えたり、幸せな気持ちなどにしてあげられるものに、笑顔があるとおもいます。優しい笑顔をしてもらえれば、私ならかなり気持ちが回復してしまいます、その効果は数時間から長いときには数週間、その笑顔のお陰様で元気になれたり、頑張れたりします。

時には数年、数十年、笑顔を忘れられずなにかあった時にその笑顔が頭によみがえり、励まされたり、元気づけられることもあるのではないでしょうか?死んでも魂は語ると言いますが、それと似たような所が、その人の笑顔にもあるのではないでしょうか?そういった笑顔は本当に数が少ないでしょうが、愛のこもった優しいまなざしはいつまでも記憶から消える事はありません。

私にはそのような笑顔をつくりあげる人間性はないと思いますが、それでももし私の微笑みで誰かの気持ちが和らいでくれるのならば嬉しいです。それに微笑んでいる当人が一番笑顔の恩恵をうけているので、やはり微笑んでいられたりできるのは素敵な時じゃないかなと思ってしまいます。又微笑みに反応してもらえて、相手も微笑んでもらえたら誰でも嬉しいと思います。おそらくかなり嬉しいし、とても幸せな時ではないでしょうか。

笑顔はその人の魅力をよりいっそう引き立てる事も多く、コロナウイルスでマスクをしている今だから尚、優しい眼差しで世界を明るくしていければ素敵だなと思います。

価値のはかりようがないものほど貴い。(美しい。)

日記2022.12.06 19:54

だいぶ前、サンテグジュペリの 本当に大切なものは目には見えない と言う事葉を知った時まだまだその意味がよくわからない感じでした。最近になって、価値のはかりようがないものほど貴い、美しい。という事葉を知り、考えてみると、誰かが相手の事を思って愛情とか友情、真心とか優しさをかけてくれた時、そこにはお金では買えない計算できない美しさが輝いていて、その愛情、友情、真心、優しさを頂いた相手は必ず、大なり小なり恩返しをしたいとか思うでしょう。 又誰もが一度は夢や希望をもって懸命になった事があるとおもいます。例え他の人から見てくだらないちっぽけな夢や希望も、お金には計算できない貴さ、美しさがあると思います。もしくはごく幼い頃にもっていた、純粋な心はそれはとてもとても美しく、価値のはかりようがないと思います。

なんとなく暮らしている毎日でも、例えば挨拶をしてもらえたとか、笑顔で答えてくれたとか、ささいな事のなかに幸せを感じる事が多いです。元気に輝く太陽から元気をもらったとか、道ばたに咲くタンポポをみて心が和むとか、夜空の星々や月をみて永遠を感じるとか、そういった価値のはかれないもののお陰様で私は元気に暮らせているきがします。

目で見て感じるというより、心で感じるというものではないでしょうか。もっと大げさに言うと魂に響くような感じでしょうか。

 

例えばなにかお金を出して購入したり、体験したり、食べたりしますが、明らかになんか得しているなと感じるたり、嬉しくなったりした時は、相手先の優しさや真心のようなものを感じます、それに対して感謝してありがとうございますと言う気持ちは、目には見えない事が多いですが、たぶんどこかで相手に通じているような気がします。そういう経済活動の中にもある愛とか優しさもとても大切で美しく、多くの人々の心を癒やし、大ききな力を生み出すと思います。

この世はみえるものや、みえることよりも、みえないものの上で成り立っている という言葉を最近耳にしましたが、本当にその通りだとおもいます。目には見えないものを大切に丁寧にあつかえれば、幸せ、とかが見付かるような気がします。

もう自分は駄目だとか思う時も皆あると思います、その時ほんの少しの勇気がでれば、そこから道が開けるかもしれません。その勇気もお金では価値が計れないのではないでしょうか。

先程の war is over とのタイトルの続きになりますが、誰かがほんの少し、いやかなり大きい勇気かもしれませんが、武器や兵器を相手に投げつけるのではなく、ささやかな愛情や真心のこもったことが相手にできたのなら、それが呼び水となり収束に向かうかもしれないなどと期待をしてしまいます。そんな目にはみえなかったり、価値の計れないもので争いが終われば、犠牲になった方も嬉しいのでわないかと思うのは間違いでしょうか?

 

 

Happy Xmas (War is over)

日記2022/12/06 11:52

どうして争が続くのか解らないけれども、たぶんお互いに正義があり守るものもあるのだと思う。それも解るけれど、相手に心を寄せる強さも必要だと思う。私はキリスト教徒ではないけれど、2022年のクリスマスにはジョンレノンがオノヨーコと作り上げた

Happy Xmasを世界中で歌えればどんなに素晴らしいかと勝手に妄想してしまう。

雨降って地固まる。

日記 2022.12.06 11:29 雨上がり

子供の頃から国語が苦手で、今でも ことわざ は数える位しか頭にないが、小学生の中学年の頃に読んだ諺の本に最初の方に載っていてくれただろう、雨降って地固まる、は何故か読んだ時に私の心に響いて、そして今までの人生を支えてくれました。とてもありがたく、優しい言葉。

だからか解らないけれども、雨上がりの空気とか、雰囲気がとても好き。なんかすごくすごくロマンチックな時間にかんじます。高校生の頃見た映画、恋しくてのエンディングでLick The TinsさんのCan't Help Falling Lave の曲に合わせて、主人公と女の子が最後に結ばれて、雨上がりの道路を歩いていくのですが、この雰囲気がものすごくいいんです。完全にズキュンで、今youtubeを見ても心がときめいて、しまいます。

 

 

衆人は咽で呼吸をし真人はかかとで呼吸する。

3、不安な気持ち。

季節は立冬を迎え、北からの冷たい風が強くなってきた。村の近くの標高の高い山々はその頂きから少しづつ雪化粧をしちょうど山腹くらいまで山は雪に覆われ白と青空とのコントラストが日に日に美しくなる。夜明けの雪山と青空のコントラストもとても素敵だと思ったが、真珠はどちらかというと夕日に赤く染まった雪山がすきだった。夕日がなくても、だんだんと暗くなる空にうつしださる雪山と空の存在は1分、いやもっと短い数十秒で姿が変わっていく、太陽の光が完全に届かなくなるまでの1時間弱、この不思議な世界が大好きであった。大きな大きな山に比べて自分の存在の小さな感じ、その小さな存在が山と空にいだかれているように感じるのだ。そこには厳しさと優しさが共存しているようだった。

 山を見るときに月がみえると必ずルナの事がうかんで、峠でのことがよみがえり本当に又会えるのだろうか?と不安になったり少し悲しくなったりした。ルナは必ず又あいましょうと言ってくれたんだ、信じよう、それだけでいい。もう色々考えるのはやめようと決めてから迷いや不安は少しずつ消えていった。

 

 真珠は6歳の時から一人で暮らしている、村では基本的には皆が助け合い協力し合い生活していたので、真珠も村の人から沢山の愛情を受け育ってきた、本当にいい所で皆様に感謝しなければと感じていた。それでも不安や悲しみに襲われて自分はどうすればいいのか解らなくなる事がある、最初は漠然と空を見上げたあり、山を見たりしていると気持ちが落ち着くのだと思っていた。最初に気づいたのは呼吸であった、落ち着くと深くゆっくりと、その季節の空気を感じながらいる事に気がついた。風の音、冷たさ、匂いが鼻腔を通り胸いっぱいに満たされる、そして身体の隅々の細胞にまで行き届き、ゆっくりと吐ききると恐怖や不安が不思議と少しづつ遠ざかっていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

花は桜木、人は武士。

2、月明りの会話。

俺は真珠、歳は16。麓(ふもと)の村に住んでいるんだ。今、空を眺めていたら朱鷺(トキ)が舞っていたんだけれど、君が...

 

ここはいいところね、夜空を眺めに来ていたの?

 

うん。ここにいると落ち着くんだ。

日は昼に輝き、月は夜照らす、武士は武装をして輝き、道を求めるものは静かに考えて輝く。なぜだろう真珠は最近読んだ言葉が出てきた。

 

すてきな事葉ね。武士は武装をして輝き、道を求めるものは静かに考えて輝く。お日様やお月様が輝くのと同じなのね。ルナはとても優しい表情だ。

 

真珠はルナのその感じから安心して話す、武士の生きかたってどんなふうなんだろう?最近気になりだしたんだ。

そうね、どんな感じかしら、あなたはどう思う?

真珠でいいよ。

私もルナでいいわ。

 

好きな詩というか歌のようなものならあるんだ。

かくすればかくなるものと知りながらやむにやまれぬ大和魂

吉田松陰さんの事葉なのだけれど。こうすればこうなると解っていても、それでもやはりどうしてもしなければならない時もある、そういうのが武士の世界にはあるみたいで、なんとなくかっこいいなと思って。

後、松蔭さんは 至誠にして動かざるものは未だこれ有らざるなり と歌っているんだ。それも獄中からだよ。この歌を思うと、本当の気持ちがあるならばその思いは通じるのかなって思うんだ。 吉田松陰は本当に武士だと思う、尊敬するよ。

ルナは話を聞きながら、真珠の瞳があまりにも真っ直ぐで光り輝いていると感じた。

うん、なんかその気持ちわかるわ。ルナが優しく微笑む。 

真珠が西の空をみると、月が沈もうとしている。

今日はそろそろ帰るは、又会いましょう、必ず。ルナの瞳には少し潤いがある。

真珠は別れるのが嫌な感じがしたが。うん、必ず、じゃあ又。

真珠は来た道を引き返し始めた、ルナの事が気になり振り返ろうとしたが、気持ちを抑えてただ来た道を引き返した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

月みれば ちぢにものこそ悲しけれ わが身一つの秋にはあらねど 

 1、出会い 

 11月(霜月)の朔日、どんよりとした冷えた雲の中、東の暗くなりかけた空に向かって雁の群れが飛んでいく。はるかはるか遠く海の向こうから長い旅を終え、疲れた体をこの辺りで休めるのであろう。西の空は僅かに大地を暖める力の残った太陽が沈むのが、かすかに雲の中に感じられる。真珠はこのなんか切なくて少し悲しい感じがなんとなくすきだった。

 都会とは対極のなにもない静かな村だが、他の世界をなにもしらない、話では聞いたこともあったが見たことのない都会は余り想像がつかなっかた。又この村が良いところだとおもっていた。

 東の方角に少し進むと背丈の低い笹に覆われた峠がある。風のとても気持ちの良い峠、真珠はそこで星を眺めるのが好きだった。悲しい時、落ち込んだときによくきて星空を眺めていると、だんだん夜空と自分の心が一体になってきて、自分の存在が宇宙と一つになる感じがすきっだた。もうすぐ冬がやってくる、あと何度峠で夜空をながめられるのであろうう、そう思うと今日は星は見えなくてもお月様なら見れるかもしれない、昨日の夕方東の空に月が浮かんでいた、南中はおそらく暗くなってからだと思い、軽く食事をとり、寒さ対策をして峠に向けて歩き出した。

 歩き出したときまだ月は雲に覆われていて見えなかったが、それでも峠を目指して歩くことにしようとおもった。あれほど賑やかに鳴いていた虫の音はもう聞こえてこない。その分、風が笹をゆらす音が綺麗に旋律を奏でる。なぜだろう今日の笹の奏でる音がいつもと違う、なんていうか優しい音楽を聴いているようだ。そろそろ月は南中に登るころだと思いながら歩いていると、一羽の朱鷺(トキ)が峠の頂辺りで羽ばたいている。朱鷺を見るのは初めてではなかったが、この辺りでも数が減り、どうして朱鷺がこのタイミングでと少しおどろいた。朱鷺のいる方にそっとそっと近づこうと、できるだけ音を立てないように細心の注意を払って歩いていた。朱鷺の姿を見逃して、どこかに飛び立ってしまったのかなと思った時、5メートル先位に一人の女性が真珠のほうを見ている。ちょうど月明かりが美しく女性を照らし出している。上弦の月、弓張月。二人はお互いの距離を少しずつ縮めて歩み寄り、握手できるくらいの距離まで近づいた。

 こんばんは。私の名前はルナ。今日は風が気持ちいいから少し遊びにきたの。月明かりのもと見える女性は、16歳の真珠より少し年上に見えた。